元来、「天上天下唯我為尊」あるいは「天上天下唯我独尊」は、釈迦が言ったのではない。『長阿含経』では釈迦以前に出世したといわれる過去七仏の第1仏である毘婆尸仏(びばしぶつ)が誕生した際に言ったとされる。
しかしそれが、釈迦が生まれた際に、他の人々がそのように讃嘆したという説が生じて[要出典]、のちに釈迦自身が誕生直後に自ら言ったと信じられるようになったものである。
釈迦の誕生を伝える漢訳仏典には、『佛本行集経』卷八・樹下誕生品下、『佛説太子瑞應本起経』卷上など様々あるが、代表的な『修行本起経』卷上・菩薩降身品第二には、
天上天下唯我為尊 三界皆苦吾当安之
欲界・色界・無色界の三界の迷界にある衆生はすべて苦に悩んでいる。私はこの苦の衆生を安んずるために誕生したのだから、尊いとしている(利他)。
『大唐西域記』(646年成立)の中に記載されている、釈迦の誕生当時を伝える誕生偈と呼ばれる偈文には、
天上天下 唯吾獨尊
今茲而往 生分已盡
という一節が記されている。 これを訳すと
世界の中で我のみが尊い。
今ここに生まれてきたが再び生きることはない。
つまり釈迦がこの世で解脱するから「唯我独尊」としている。
残存するパーリ仏典も『大唐西域記』と同じように釈迦自身の解脱という点で尊いとしている[要出典]。この利他の面で尊いとするのか、解脱という利自の面で尊いとするのかに、時代による釈迦観の違いが現れている。